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きっかけはYouTubeのおすすめ動画
2020年6月
どうしてだか、いつも視聴しているYouTubeのおすすめ動画に突然この映画の予告映像が出てきた。
そうだ、以前この映画が上映されることを知った時に必ず観ようと思ってチェックしておいたんだった。
そういう時に僕は決まって画像保存をしておく。だけど時間と共にそうした画像やメモは日々の忙しさの中に埋もれていってしまう。やがて風化していってしまう災害時の記憶のように。
もしかしたら僕は呼ばれたのかもしれない。
「今やってるぞ。上映してるぞ。」と。
心が高鳴った。
おそらく多くの人がそうであるように
東日本大震災は僕の中で風化させてはいけない出来事になっているし、福島の原発で起きたことは果たしてどんなことだったのかを自分の中で咀嚼してゆっくりと考える時間を持てずにここまで来てしまった。
本当に正しいことなんてわからないけど、
あの時フクシマで何が起こっていたのか知りたかった。あの時は自分のことで精一杯で見えなかったこととか、テレビ・ラジオ、SNSどれが本当かわからなかったこと
そういうことを
時間が経った今、こうして心を落ち着けて今一度考えを巡らせたかった。今こうして感じていることが正しい方向性なのかはわからないけど、今も故郷を離れて暮らす人々や、大切な人を亡くし暮らす方がいる以上、僕にはそこに心を寄せるということがしたかった。おこがましいけど、きちんと向き合いたかった。
2020年から僕のフクシマは始まる
この映画を観に行くにあたって、事前に僕はある映像をYouTubeで予習していった。それは「あの日」、福島原発の現場と東電本店などを繋いだテレビ会議の模様を約5時間にわたって録画された映像。そこには
あの時何が起きて
誰と誰が どこで
どんなやり取りをしていたのか
そうしたすべてが生々しく記録されていた。ある意味、映画を観るよりもこれがすべてだと感じた。
僕はあの時なにもしなかった。というか、できなかった。
被災地に赴きボランティアをしたり、何か自分の中で特別なアクションを起こすことなく日々を送っていた。募金くらいはしただろうか。
自分の皮膚の中までしみこむような
確実に他人事ではない出来事だったのに
どこかそれ以上自分事にすることができないような
そういう臆病な自分だったし、いまでもそう。
映画を観て、つくづく「人は勝手だ」と思った。
あの日、僕は自分の生活が、計画停電が、仕事が、電車の間引き運転が、ガソリンが、水が、
そんなことしか考えていなかった。
日々テレビで繰り返し流れる映像をぼんやりと眺めては明日の自分の生活のことを考えていた
東電本店の姿はまさしく僕の姿だ
僕がもしも東電本店の人間で、あの会議の場にいたなら
大切なものを投げうって現地に駆け付けるようなことができただろうか。
きっと画面越しに遠くの地の出来事として傍観していたに違いない。人は危機的状況の当事者にならないと、普段やっている以外の行動を起こすことはなかなかできないと感じている。
自分の想像を超えるような出来事など起こりっこないと思っている。きっと誰かがなんとかしてくれると思っている。
日々の生活の中で生まれる怒りや悲しみ、憤りすべて
どこかの誰かがなんとかしてくれるまでジッと我慢して暮らしている。
とはいっても、あのテレビ会議に映っていた人の中には強い正義感から状況を好転させたいと真に動いていた人はいたと思う。だけど、確実あの状況をどこか薄ら笑っている人もいたのも確かだと感じる。
それが今の社会なんだと思う。
厳密には「今の」ではなく、それが社会というか、それが人なんだと思う。人は他人の両手で自分の首を絞めつけられる事態になるまで本気になれない。
なるべく他人の魔の手が自分に及ばないように避けて生きることを学んできて、そうして暮らしている。人にやさしくできるのは、自分の首を絞めつけられたことのある人や、人からやさしくされたことのある人。
今でも騙されながら生きるしかない僕ら
原発事故からだいぶ経った。
なにもかも時間に任せて僕らはなんとなく安全に暮らしていけるようになったと思い込みながら生きている。
色んな人の利害関係が多すぎて
真実を知ることはとても億劫だから。
知らずに暮らしていた方がラクだから。
だけどね、
亡くなった人や
大切な人を失った人
大切な思い出を奪われた人
そうした人々への思いは
例え時間と場所が遠く離れたとしても
持ち続けるべきだと僕は感じている。
人は人によって狂い
人は人によって人になる
人生の針が進むほどに色んなことが起こる。
自分自身にも、自分の周りにも
生まれてこの方昨日まで信じてたことがあっという間に否定されることにあまり驚かなくなってしまった今日この頃
そんなもんだよねって思ったりして
今信じてることなんて
誰も保証してくれない
昨日まで悪だったものが今日は善になる
水のように生きていかないと辛いなってつくづく思う。