堀江貴文の多動力を読んで

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堀江貴文の多動力を読んで

堀江貴文さんの著書「多動力」を先日、若干遅ればせながら読了したので感想を書きたいと思います。
レビューというわけではなく、個人的に私がグッときた部分に対して自分自身がイエスかノーか、出来ているか出来ていないか、やりたいかやりたくないかなどを徒然に書き連ねて行きますので、一読者の素直な感想としてお読みいただけると幸いです。

多動力 堀江貴文 感想

電話をかけてくる人間とは仕事をするな

これはだいぶグッときてしまった。
自分の仕事ぶりを振り返ると共に、自分自身もいかに多くの時間を誰かからの電話によって奪われているかを思い返してみた。

・今日の着信履歴を見てみよう
・そこに並ぶ人たちが「あなたの時間」を奪った犯人だ
・もう犯人からの電話に出ることはやめよう、気がついたら人生丸ごと奪われる
・ちなみに、発信履歴はあなたの被害者リストだ

この本を読んで最も僕が実践に移した部分はココ。
これまで極力電話で直接伝えた方が人間味があるから良いかなと考えていた部分を、なるべく簡潔なメールですませるようにした。もちろん込み入った話は電話ですることもまだまだ多いが、なるべくお互いの時間を奪い合わない形で要件を伝えるように心がけるようになった。

この「電話」と同じく他人の時間を奪うものに、「雑談」や「文句」、「愚痴」も含まれると感じている。
社内には事あるごとに取引先の悪口を叩いては社内にいる周囲の人間に同意を求め、いかに自分が正しいかをアピールしてくる人がいる。その話を聞いている事自体が時間の無駄である上、人が他人の悪口を言っているのを聴いているのは精神衛生上大変宜しくない。

適当に相槌を打つためにうっかり自分もその悪口に加担してしまうことも多く、心にもない陰口を叩かされることになる。
こういう人がいる空間からは極力距離を取りたいものだが、サーバーに繋がったパソコンでないとなかなかやりにくい作業があったりして、セキュリティの観点からもそうそう仕事を外に持ち出すことも出来ない。

これは今後の課題として残った。

「自分の時間」とは自分の意思で、自らがやりたい事をやっている時間のことだ。
「他人の時間」とは自分の意思とは関係なく、何かをやらされている時間のことだ。
今、自分は「自分の時間」を生きているか?「他人の時間」を生かされているか?意識してみよう。

→正直私は人生のほとんどの時間を「他人の時間」の中で生きているし、それに満足しているわけでない反面、その状態に甘んじているということも認めます。最初から「出来ない」と言ってしまっては元も子もないが、100%自分の時間を生きるということは難しい。他人と関係し合って生きているのが人間である、と私は考えているので、自分のやりたいことだけをやれる人が少なからず存在するのは、他人の時間を生きているその他大勢の人の恩恵であるとも考えている。そのため多くの犠牲を払って自分だけの時間を生きるという選択肢もありだが、私の中の幸せの価値観からそれは難しい。ただ、少しでも他人の時間から解放され、自分の時間を増やす努力はとても大切なことだと感じる。

おかしなヤツとは距離を取る

・「付き合わない人」を決めることがあなたの生き方を決める

これは偶然最近私が意識していることだった。
ありきたりなことだが、無意味な飲み会やお付き合いの接待には断固行かないという態度を取るようにしている。
こう書くと頭でっかちに思われそうだが、結構苦労もしている。
楽しい会や「会いたい人」「一緒にいて楽しい人」「自分の大切にしている時間」を確保しようと思ったら、どうしても「付き合ってるのが無駄な時間」は省かざるを得ない。30歳前後ではまだちょっと遠慮があったが、もう36歳なのでいい加減どうでもいい飲み会はハッキリとどうでもいいと言えばいいのだ。「行きたくないと」

まだまだたくさん書くことがありそうなので、
とりあえずここまでで一旦区切ります。

ではまた。